カフェインについて

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どうも勉強に集中できない。こんなときは本を開いて自分の好きな単語を拾っていくと集中力が湧き上がってきたりするのだが、今日はそれもダメなようだ。文章を書いて脳を叩き起こすことにした。

 

人類が数多発見した薬物の中でもカフェインは極めて日常的なものの一つだと言える。コーヒーや茶などの嗜好品に含まれていることが日常的な摂取を促進している要因だろう。むしろ、カフェインを含んでいるからこそ嗜好品たり得る、とすら考えられる。私はそこまで重いカフェイン中毒者ではないと思うが、カフェインがないと頭が働かない、という中毒状態に陥っている人は世の中に少なくないようだ。

 

カフェインは中枢神経系に作用し、勉強や事務作業におけるパフォーマンス向上を目的に使われることが多い。サラリーマンのおっさんは缶コーヒーをよく飲むし、試験前の大学生はエナジードリンクをよく飲む。

 

私も大学時代は試験前日にコンビニに走り、モンスターエナジーの白を好んで飲んでいた。化学的な甘みがスタンダードな緑色よりもマイルドに感じられたからだ。私が積極的にカフェインを摂取するのは、「起きていたい」「寝てはいけない」という動機からがほとんどだった。カフェインによる「頭がシャキッとする」「作業に集中できる」というような効果を実感したことはなかった。「とりあえず寝落ちしてしまうことはない」という、積極的な効果というよりは必要最低限の効果を期待してモンスターを飲んでいたと思う。悲しいことに、膀胱だけは目も当てられないくらいに活動的になり、発電できるのではないかと思えるほどの爆発的な利尿作用を私にもたらした。

 

というような感じで、私にとってカフェインとは、「10分に1回の排尿と引き換えに、とりあえずは起きていられる」状態を生み出す薬物であって、作業面において劇的な効果を生み出すことはなかった。だからこそ、コーヒーやエナジーは試験前日にだけのむものであって、日常的に摂取することはほとんどなかった。

 

しかし、人間は追い詰められるとあらゆるものに頼ろうとする。現在も試験勉強で追い詰められている私は、とある精神科医が書いた本を読む中で、カフェインに一種の神秘的性質を見い出した。医学部4年生まで怠けていた筆者が、毎日大量のコーヒーを作り置きし、果てにはエスタロンモカというカフェイン剤を服用することで勤勉な医学生へと生まれ変わり、実習の合間に降りかかる試験に次々と合格する、という描写があったからだ。ベートーベンやバルザックといった歴史的偉人たちも大量のコーヒーによりカフェインを摂取していたことも語られていた。

 

私は早速薬局へとエスタロンモカを買い求めた。「コーヒーやエナジードリンクではなく錠剤ならば利尿作用以外の効果を享受できるかもしれない」という期待があった。その期待は裏切られなかった。1錠だけ飲んでみると、コーヒーを飲みすぎたときのように胃がキュウと締め付けられるような感覚に襲われた後、脳内の靄が取り払われ、思考がクリアになった。光芒一閃、という感覚だった。4時間ほどで経済と法律の問題を計200題ほど解いていた。解説も面白いほど簡単に理解が出来た。カフェインは奇跡の薬物だと確信を得た。

 

とはいえ、頻繁に服用していてはすぐに耐性がついてしまうので、ここぞというときにだけ服用するようにしていた。どうしても眠いときや、やる気が起きないとき、今日だけはなんとしてでも集中したい、といったようなときだけだ。

 

そう気を遣っても、奇跡は永遠ではなかった。のべ10錠目ほどで、私の身体はエスタロンモカへの耐性を備えてしまった。脳が完全にクリアになるようなあの感覚は、1度に3錠は服用しないと得られないように思えた。そんな風に服用しては急性中毒で体調が地の底へ叩き落されるのは明らかだったので、もうエスタロンモカに頼ることは出来なくなった。

 

カフェインによる急性中毒の不快さは経験済みだ。2年前、大学の卒業論文を一夜漬けで執筆するという暴挙に出た私は、ご丁寧にも飽きないように数種類のエナジードリンクとストレートコーヒーを用意して、1日中机に向かってバングラデシュの皮革産業について論文を書いた。タバコを3箱は空けた。論文提出締め切り日の当日午前5時くらいに書き終わった。作業を終えた爽快さは一切なく、口の中はタバコとコーヒーの臭いでこの世のものとは思えないほどに最悪だった。脳はあらゆる情報を判断できなくなり、文字をみても意味が分からない。一時的なディスレクシアに陥った。兎にも角にも外の空気が吸いたくなって、部屋を飛び出た。冬の朝に特有の青みがかった空気に包まれた街が、厭世的な色彩を帯びているように思われて、気分は全く向上しなかった。さまよい歩く内に小さな神社にたどり着いていた。敷地自体は小さいながらも、楠の巨木があり、私は救いを求めて楠の根本に座ってうなだれていた。そんなことをしている内に判断力が蘇ってきて、「こんな状態で誰かに見られでもしたらまずいな」と思い、神棚にお祈りをして帰ることにした。神棚に置かれたワンカップの日本酒は何者かにより開封され、中身が無くなっていた。私は何故か怒りに燃え、最寄りのコンビニにワンカップを買いに走り、空けられたものと取り替えた後、祈りを捧げてその場をあとにした。大学に論文を提出した後、ベッドに倒れ込んで、翌日の夕方すぎまで寝ていた。

 

あんな思いは二度としたくないので、効果が無くなった以上やめるしかない。何かの目標に向かってひた走るとき、一番力になってくれるのはカフェインではなくて自らの意思だ。そんなことは百も承知だが、困ったことに人間の意思の強さというのは一定ではなく、その日の体調や気分によってはほぼ消えかけ、なんてことが頻繁に起こる。そこで燃料投下という名目でカフェインを摂取したり、映画や本なんかを見て外部からモチベーションを取り込んだりするのである。

 

そんなこんなでカフェインについてあれこれ書いたけども、今日は何でこんなにやる気が起こらないかわかった。カフェインへの耐性のせいではない。睡眠不足だ。ここ3日ほどベッドで寝ていないからだ。ずっとソファで寝ていた。睡眠時間は短いし質も悪かっただろう。睡眠は人生の基本である。今日はたっぷり寝よう。

 

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