窓用エアコンのしょうもなさ

「窓用エアコンを買ってはいけない」という話をしようと思う。

結論から書くと、思った以上に高くつくし、うるさいし、冷えないからだ。

 

窓用エアコン。名前の通り、窓に設置して使うものだ。大きさは、縦1m、横60cm、奥行き25cmくらい。自分の部屋の窓に、普通のエアコンよりもずんぐりした見た目の機械が据え置かれているところを想像してみてほしい。あまり見慣れない光景だろうと思う。

 

必要に駆られて、自らエアコンを設置しようとでもしない限り、窓用エアコンの存在すら知らずにいる人が多いかもしれない。何を隠そう、私がそうだった。

 

話は1年前に遡る。私はO市からI市へ引越しをした。色々の事情が重なって、4年間で4回も引越しをしたものだから、引越しそのものには慣れっこだったが、とにかく金が出ていって辛かった。引っ越しの度に私は自らに貧乏を加え、資産を失っていった。I市への引越しの際には調理器具一式と白物家電すら失っていた。自分でも訳が分からなかった。

 

そんな状況で、私が職場の宿舎に飛びついたのは無理もないことだった。家賃は格安だし、敷金だ礼金だのの初期費用が一切かからなかったのである。不動産屋であれこれ悩んでいた私だったが、宿舎という光明を見出して以降は、不動産屋の担当者への連絡をピタリと止め、目を輝かせて宿舎担当の課へ走った。運良く、2週間後に1室空くということだった。下見も何もせず、すぐに入居を決めた。

 

1週間で荷物をまとめ、冷蔵庫と洗濯機を買いに家電量販店に走った。家電を買ったはいいが、その時点でかなり心許ない資金しか手元に残らなかったため、引越し屋に頼むなどという贅沢は許されていなかった。これまでにもしていたように、レンタカーを借りて荷物を運び出すことにした。そうなると、新しい家電をO市の暫定住居に送ったところで、1週間後にはまたぞろ運び出してI市へ移すことになってしまう。家電はI市の宿舎に、入居日に合わせて送ってもらうことにした。

 

冷蔵庫がない状態で、引越しまでO市で過ごしている期間は辛かった。コンビニ飯や外食で済まそうにも金がない。今はとにかく節約だ。私は唯一残った家電である炊飯器で飯を炊き、インスタントの味噌汁と、冷蔵庫がなくても置いておける塩分濃度の高い梅干しで飢えを凌いだ。何で令和の時代に疎開中みたいな真似をしなければならないのかと腹立たしかった。洗濯物はある程度まとめて、自転車でコインランドリーまで持っていった。高そうな羽毛布団を恭しく洗濯機から取り出す主婦が憎かった。

 

引越し当日、私は晴れ晴れしい気持ちで、レンタルしたハイエースを運転し、積載した段ボールをガタガタ言わせながらI市へ向かった。よく晴れた土曜日だった。大学に合格した後や、就職が決まった後、卒業が確定した後、そういうときの気分によく似ていた。世界がくっきりとよく見えた。引っ越しすることになった経緯(ここでは割愛するが)も呪わしいものだったし、私が住んでいたO市の一角は、高速道路や大通りに面していたせいで、四六時中、緊急車両が走り回り、週末の夜更けには走り屋が改造マフラーの爆音を轟かせ、せめて残しておいてほしかった日曜の朝の静寂は右翼街宣車の拡声器によって簒奪された。

 

もうあんな思いをせずに、ゆっくり寝ることができるのだと思うと、それだけで嬉しさがこみ上げてきた。

 

I市の宿舎の周辺に着いてみると、都会の煤煙も、吐瀉物も、建物の隙間から漏れ出す得体の知れない臭気も、何もなかった。安心してハイエースから積荷を下ろし、エレベーターで部屋まで運ぶ。エレベーター内の鏡に、水商売から帰ってきた人々が外したコンタクトレンズが貼り付けられているというO市での悪夢が再現されることもなかった。I市は本当にいいところだなあ。

 

荷物を全て搬入した頃、冷蔵庫と洗濯機が運ばれてきた。そのときの頼もしさといったらなかった。これで脱いだ服をその日の内に洗えるのだ、これで納豆や鶏肉を買うことができるのだ。私は何をしたっていい。喜びを燃料にし、疎開飯と労働で疲れた体に鞭を打ち、レンタカーを店舗へ返却し、O市に呪いの言葉を吐いた後、電車でI市へとんぼ返りをした。

 

1年前の夏、関西地方は今年よりも暑かった。新居へ帰る頃には汗だくだった。私は夏の汗を何より憎むが、このときばかりは清々しい汗に感じたものだ。とはいえ、汗をかきっぱなしなのは具合が悪い。帰宅後、私は真っ先にシャワーを浴びることにした。脱衣所はなく、入居したてで窓にはカーテンも備わっていなかったから、段ボールを積み上げて目隠しにした。引越し早々、変態が越してきたなどと話題になっては困る。

 

汗を流した後、照明を取り付けたり、仕事着や身だしなみ用品等のすぐに必要なものを段ボールから取り出す必要があった。疲れていたが、まだ休めない。ただ、もう先の不安に苛まれることはなくなった。慎ましやかだが、静かな住居を確保し、家電も買い替え、正に心機一転だった。相変わらず金はないが、生活コストが下がったから貯金もしやすくなるだろう。焦らず、少しずつ身の回りを整えていこう。さて、まずは照明の取り付けといこう。いや、その前に部屋を冷やさないと。暑いったらないよ。

エアコンのリモコンを探そうとしてすぐ、私は嫌な予感がした。それがあるはずの場所を見上げ、私は絶望の底に突き落とされた。

 

エアコンがないのである。

 

6畳ワンルームの、エアコンがあるべきはずの場所、つまり掃き出し窓の上に、エアコンが、ないのである。

 

あるのは、かつての住人が使用していたであろうエアコンの長方形の設置跡と、ビス止め跡だけだった。私はあまりのショックに気をおかしくし、キッチンやトイレや果ては靴箱の中まで隈なく捜索したが、エアコンの姿はどこにも見当たらなかった。その年、ロシアがウクライナに侵攻し、知床で船が沈み、元首相が撃たれ、私の新居にはエアコンがなかった。その日の最高気温は38℃だった。私はすぐさまI市のことが嫌いになった。

 

私は1階に飛んでいき、帰ろうとしていた管理人を捕まえて説明を求めたところ、原状回復義務があるため、たとえエアコンだろうと退去時には取り外さなければならないということだった。つまり、何かの手違いでエアコンがなかったという訳ではなく、エアコンは姿を消すべくして消えていたのだった。

 

私は泣きながら水風呂に入って、アマゾンでエアコンの検索をかけていた。悲しみと、疲労と、暑さとで正常な判断力を失っており、この経済状態でエアコンなんか買えるものか、本体だけでもクソ高いのに設置費用までかかるし、もしすぐに転勤なんか命じられたらまた金を払って取り外してもらわないといけないなんて冗談じゃない、などと怒りに燃えて、普通のエアコンを買うことを早々に諦めてしまった。そうだよな、普通の賃貸とは違って宿舎なんだからエアコンがないっていう可能性も考えられたよな、というか下見すべきだったよね、などと反省などできるはずもなかった。

 

人の心が弱っているとき、新興宗教と窓用エアコンはつけ込んでくるものである。

 

なんとかして設置費用無しで冷えた空気を手に入れられないか画策し、私がたどり着いた結論が、窓用エアコンの購入だった。窓用エアコンは大がかりな工事の必要がなく、自力での取り付けが可能だということだった。普通のエアコンならば、取り付け工事費込みで10万円は下らないところ、窓用エアコンであれば、本体代の6万円で済ませることができそうだった。

 

普通のエアコンも買えないことはなかったのだが、このときは「自分で設置したるわ」という謎の意地と、苦境の中、自ら見出した窓用エアコンという活路に絶対の自信があり、迷いなく窓用エアコンの購入を決めたのだった。

 

ここで、窓用エアコンを買ってはいけない理由その1、「思った以上に高くつく」である(前置きが長すぎる)。

 

まず、これは少々イレギュラーな側面もあるが、去年は私が引っ越した6月の段階で35℃以上の猛暑日が相次いで記録され、エアコンの需要が逼迫していた。私が買おうとしていた窓用エアコンもその波に飲まれ、アマゾンで商品を確認した後、取り付け方法などを調べてから、さあ買おうと思ってアマゾンのページに戻ったところ、僅か10分そこらで1万円も値上げされてしまったのだ。それに加え、窓用エアコンという奴は、掃き出し窓のような大型の窓ではなく、小窓に設置することが前提となっているようで、私のように掃き出し窓に設置するには、エアコン本体を取り付けるフレームを延長させる部品を別途購入する必要があった。これが6500円。これで既に7万6500円であり、取り付け費用を除けば、なんだか普通のエアコンを買うのと大差ない気もしてきていたが、そこは意地が譲らなかった。

 

譲っておけばよかった。

 

フレームの延長パーツを買ってハイ一件落着、とはいかないのが窓用エアコンの憎いところだ。まず、窓用エアコンなんていうのを買おうと思う人が少ないので、ネットで調べたところで取り付け方法など紹介されていない・・・というと嘘になる。方法自体は紹介されているが、肝心な部分が書かれていないのだ。問題となるのは、前述の、本体を取り付けるためのフレームだ。窓用エアコン本体は20キロほどの重さがあり、フレームはそれに耐えうる頑強さを確保するために、窓枠に固定する必要がある。もっと具体的にいうと、フレームを、アルミサッシなり木なり、とにかく窓枠に穴をブチあけてビスでガチガチに固定する必要がある。

 

つまり、穴をあけるための電動ドリルが必要になるのだ。

 

暑さを耐え忍んだ末に窓用エアコンが届き、37℃の灼熱の中でいそいそと取り付け作業を始め、電動ドリルが無ければ何も始まらないと気が付いたときの絶望感は、エアコンが備え付けられていないということを知ったとき以上の圧力があったことを記憶している。私は修羅の形相で自転車を漕ぎ、近辺で電動ドリルを唯一売っていそうなショッピングモールに向かった。電動ドリルそのものは見つかったが、あろうことかアタッチメント(ドリルの刃)が付属しておらず、モールの中にも在庫がなかった。アマゾンに頼ったが、最短の配送日が2日後だった。

 

私は慟哭し、海岸に打ち上げられた湯葉のような情けない姿で眠った。

 

電動ドリル本体8000円、アタッチメント1500円、合計8万6000円。窓用エアコンは、そこまで安上がりではないのだ。

 

アタッチメントが届き、やっとのことで設置が完了し、いざスイッチを入れる。ここで、窓用エアコンを買ってはいけない理由その2「うるさい」である。

 

本当にうるさい。絶望的にうるさい。アマゾンのレビューに書かれているような「ちょっと稼働音が気になりますが」などというレベルではない。稼働させている間、部屋に置かれた物すべてが振動しているのではないかというような轟音が空間を支配する。私は、この強烈な稼働音に抗うために、本体に貼り付ける防音シート(2500円)やノイズキャンセリングイヤホン(4万円)まで購入したので、合計金額を12万8500円に訂正したいくらいだ。

 

さて、なぜこんなにもうるさいのかというと、窓用エアコンの構造に問題がある。ここで皆さんに、「エアコン」を頭の中でイメージしてみてほしい。窓用エアコンではなく、普通のエアコンだ。大抵の人が、白い長方形の物体を思い浮かべたことだろうと思う。もしくは、ビルや事務所によくあるような、天井に備え付けられた正方形の送風口を思い浮かべた人もいるかもしれない。だが、それは「エアコン」の全てではない。半分の姿でしかない・・・いやむしろ、主役は他にいる、と言ってもいいかもしれない。

 

そう、忘れがちなのが「室外機」の存在だ。灼熱の炎天下だったり、狭くてジメジメした日陰だったり、煤煙にまみれていたり、大抵は過酷な環境で、孤独にプロペラを回しているあの室外機だ。室外機のことを、何か水を垂れ流してるし前を通ると熱風を送ってくる鬱陶しい奴、なんて思ってはいけない。室外機があってこそ、我々は快適な温度を享受できるのだ。通常イメージするところのエアコン、つまり室内機は、室内の空気を熱交換機に触れさせて、空気を冷やしているだけなのだ。室内から吸収した熱を排熱しているのも、室内機にギンギンに冷えた冷媒を送り込んでいるのも、室外機がやっている仕事なのだ。圧縮機も膨張弁も、室外機に備わっているのであり、エアコンの心臓的な役割は室外機が担っている。室外機がなければ室内機は何もできない。室内機がセールスマン、ギター・ボーカルなら、室外機はエンジニアでベース・ドラムなのだ。殺人的な高温が相次ぐ現代、「エアコンの室外機」となどという付属品的な扱いはやめて「室外機と室内機でエアコン」なのだと認識を改めるステージに我々は立っている。

 

では窓用エアコンの場合はどうか。自力設置が可能ということは、室内機と室外機をつなぐややこしい配管をいじったりする必要がないということだ。というか、窓用エアコンに室内機・室外機という考え方はない。両方の機能をひとつの機械で行うからだ。つまり、部屋の中に室外機があるようなものなのだ。そんなものうるさいに決まっている。

 

「室外機をもっと敬え」と既に熱く語ってしまった後だが、室生犀星的な言い方をすれば「室外機は遠きにありて思ふもの」であって、窓用エアコンのように室内機と室外機が一体化してしまっている場合には、そんな理論は通用しなくなる。だってうるさいもの。室外機は、過酷な環境において、タフに働きつづけている姿をたまに思い出すからこそありがたいのであって、あいつが部屋の中にいるなんて大事だ。運転している間ずっとガウンゴウンうるさくってたまらない。走り屋や右翼街宣車に苛まれていた日々がフラッシュバックする。I市は何も悪いことをしていないがI市のことがどんどん嫌いになる。

 

(ちなみに防音シートは何の役にも立たなかったし、轟音はノイズキャンセリング機能を貫いて聞こえてきた)

 

さて、この「うるさい」問題と表裏一体なのが、窓用エアコンを買ってはいけない理由その3「冷えない」である。

 

窓用エアコンは体ひとつで、室内機と室外機、両方の機能を担っているという話をした。ということはつまり、排熱も行っているということである。そのため、窓用エアコンの取説には「本体背面から排熱を行うため、運転中は窓を開けて使用してくだい」という、冗談みたいなことが書いてある。「君はマジメにエアコンをする気があるのか」と問いただしたくなる。ちなみに窓をあけずに使用するとオーバーヒートして壊れる。

 

 ・・・まあ一応、外気が入り込まないようにパッキンなどが付属してはいるものの、完全に外気を遮断できるわけではないので、気休め程度にしかならない。実際、使用中はガンガン外気が入り込んで来ていた。ガムテープなどで補強すれば、多少マシになるだろうが、そうすると窓を開けることができなくなり、洗濯物が干せなくなる。もうどうしようもない。

 

というわけで、外の熱は入ってくるわ、そもそもの構造上、あらゆる機能が中途半端に終わっており、部屋を冷却する力そのものが弱い。外気温が35℃だとすれば、室内は体感で29℃くらいまでしか冷えなかった。それも、設定はマックスパワーの20℃で、冷えるのは本体の周辺2メートルくらいまで、である。

 

私がここまで6000字超を費やして窓用エアコンをこき下ろしたくなった最大の理由について話そう。連日の猛暑で、休日にどこか出かける気力もなく、家でゆっくり過ごそうと思った日曜日のことだった。午後3時頃、暑さもピークのそのときに、突如窓用エアコンが運転を止めてしまったのだ。説明書通り、窓を開けて使用していたのに。

 

原因は、西日だった。直射日光で本体がオーバーヒートしたのだ。本当に暑いときに頼りにならない。窓用エアコンは熱風を吐くだけの騒音機と化してしまった。「君は何をやらしてもダメだなあ!」と典型的なパワハラ文言を吐いて、私は窓用エアコンに腹パンを1発入れた。日が落ちた後には再び慎ましやかな冷風を吐くようになったが、昼間に熱風を吐くエアコンなどもう必要ない。

 

私は虚しくなってテレビをつけた。ジャパネットたかたが放映されていた。日立・白くまくんが、取り付け工賃込み・5年保証付きで、8万5000円で売られていた。テレビショッピングはこういうときに稼ぐのだなと納得して、私はジャパネットに電話をした。

 

今、白くまくんが静かに、そして力強く部屋を冷やしてくれている。その素晴らしさに感嘆するとともに、私のあの苦労は一体何だったのだろうと、時折空虚な気持ちになる。