予算のない生活

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6月になってから仕事量がドカンと増えた。要領が悪いので、処理しきれずにいつも帰りが遅くなってしまう。在宅勤務のときは時間が有り余っていたから、めちゃくちゃ自炊をしていた。

今はほとんど通常勤務に戻っているが、帰宅するのは大体20:00~21:00ごろ。「こんなに帰りが遅いなんて聞いてないぞブラック企業!」と主張したい訳では全くなく、入社段階で早帰りが徹底されていないことはなんとなく気付いていた。ブラック企業でもなんでないし、むしろ福利厚生とかやりすぎじゃないかと思う。

さて、在宅勤務時には相対性理論の『バーモント・キス』を聴きながら品揃えの悪いスーパーを巡回し、その日のメニューを考えながら食材を買いそろえるのが習慣になっていた。「じゃがいもが置いてないなんてスーパーとしてあるまじき行為だ」と絶叫しながらキレていた。料理が一種のストレス解消になっていた。元々料理は嫌いではないのだ。

ところが、流石に21:00過ぎに帰宅となると家周辺のスーパーは打ち合わせたように次々と店を閉め始める。オフィス街の悲しき現実であった。賢人であれば、「じゃあ休日に食材をまとめ買いしよう」「日持ちするメニューを作り置きしておこう」とか色々考えてそれを実行に移せるのだろうが、私はそうはいかない。

夏休みの宿題を最終日に、どころか卒業論文を一夜漬けで書き上げたような人間なのだ。テーマとしてはバングラデシュに代表される皮革産業がもたらす環境への影響、みたいな感じだったのだが、文字の嵩増しのために「バングラデシュ」を頑なに「バングラディシュ」と書き続けたような人間なのである。「ィ」の一文字の積み重なりで俺は勝利するんだ、とか言っていた。そんなことよりもっと計画性をもって書け。

そう、計画性。これが俺には欠如している。ずっと行き当たりばったりで生きてきた。計画を立てて、達成のために実行、目標を現状のギャップを確認しつつ修正していくというPDCAサイクルは仕事の基本だが、仕事のみならず日々の生活においてもそうだろう。

自炊をするメリットの一つに食費の節約がある。PDCAに置き換えるとするならば、「1ヵ月の食費を3万に抑える」を目標に据え、「ちょっと高いが作りたい・食べたいメニュー」「節約メニュー」「食費と手間と美味さのバランスがとれた主力メニュー」みたいな感じに分類して、1週間単位でどのメニューをどう配分するか考える。その上で買い物をし、レシートを家計簿アプリで読み込んでチェック、予算を超えた原因を分析して修正・・・。

みたいなマネができればいいのだが、実際の買い物は「あれも食いたいこれも食いたい」で必要のない食材をバンバンとカゴに放り込み、料理をすれば自分の胃袋の容量も考えずに5人分くらいの分量になる。それを一気に食う。財布は薄くなり腹が厚みを増す。

忙しくなってからは、休日は寝てばかり。部屋の掃除、モノの手入れ、読書、映画鑑賞、本気の(重要)音楽鑑賞などなどやるべきことは山ほどあるが、大概はスヤスヤいっている。今朝の夢では、お米アドバイザーみたいな男からひたすら米を食わされた。1合500円の高級米が妙にボソボソしていて不味かった。

妙な夢ばかりみている。先週みた夢では小学校のときの学友、というかガキ大将気取りのクソガキがいたのだが、そいつとテニスをする夢だった。ただ、テニスボールは使わず、代わりにスポンジのような素材でできたフリスビーを打ち合うというもの。夢でスポーツをすることはよくあるのだが、現実以上に身体を上手く動かせないことが多い。ぎこちない動きで必死にフリスビーを追うが全く打ち返せない。クソガキが俺を煽る。ムカつくがスポーツマンシップに則り、決して罵倒などはしない。「ちょっとまってくれ」と手をかざす。両手で頬を思いっきり叩き、気合いを入れようとする。が、それすら身体を上手く動かせずに、頬を叩くというより撫でる、みたいな感じになり全く気合いが入らなかった。そこで目が覚め、クソガキへのリベンジは果たせぬものとなった。

頬をつねって目の前のシチュエーションが夢かどうかを確認する、というのは漫画などで使い倒された古典的表現だが、今回の夢で起きたことは全くそれと同じだった、あの表現はあながち間違っていなかったんだなあ。とかどうでもいい感想を抱きながら起床した。クソガキ、もとい大〇君とは10年以上会っていないし、そもそも特別仲が良かったわけでもないから、何故今になって俺のレム睡眠の舞台に登場したかは謎だ。フリスビーでテニスをしたのはもっと謎だ。

明日からまた仕事だ。外回りにこれからの気候は耐えがたいものとなる。夜にはもう花の匂いはしない。代わりに濡れたアスファルトの不快な臭い。暑さで煙草が不味くなる。食べ物はすぐに腐るし、外出から家に帰りつくときには汗で最悪な気分だ。夏がこんなにも憎くなったのはいつからだろうか。小さい頃にはカブトムシと瓶コーラで幸せな気分になれた。と書くとカブトムシの腹部を貪り食う少年が想起されるが、カブトムシは飼育用であって断じて食用ではない。

こうした捻くれが夏を楽しめなくなった原因の気がする。