後輩から「ホント何の役にも立たないブログっすね(笑)」との評価を頂きました。密かに掲げている当ブログのコンセプトに照らし合わせれば、この評価はむしろありがたいものなのですが、ちょっとは世の中のためになることでも書いてみたいものです。
日記って書いてみると面白いですよ。
途切れ途切れではありますが、中学2年くらいの頃からつけてます。
「日記 書く理由」とかで検索すると、「感情が整理できる」「文章力向上」など、色々と理由はあるようですが、僕の場合は考えの整理、備忘、後から読んで笑うため、なんかが主な動機です。
中高生のときには動機が「後から読んで笑うため」しかなかったので、ひたすらに下らないことしか書いていません。
特に中学校時代のはひどい。中学生特有の2chに侵された思想のもとに綴られた文章は、下品で、生産性もユニークさも無い。
しかし、時折今でも使いたくなるような光る表現を使っていたりもします。
好きな人に話しかけられた日にテンションが上がって書いた日記より一部抜粋。
「マジでやべえwwwすげー嬉しいwwwどーん!どーん!俺は打楽器!どーん!」
怖いもの見たさで7年ぶりくらいにこの日記を見直しましたが、「なんだコイツ天才か」と我ながら思いました。
大学に入ると、なんというか大学生特有の喋り方になりがちだと思うんですよね。
「クソほど(死ぬほど)嬉しい」とか「1000万年ぶりに好きな子と喋ったわ」とか「バカ可愛い」とか。
そうして硬くなった頭を日記を読み返すことで若返らせることができます。
ああ、俺はその昔、自らを楽器と化して喜びを表現していたのかと。
今ほどの語彙力はない。しかし、限られた言葉の中から自分の感情を一番的確に表現しようと閃いたんでしょう。結果的に、今の僕には到底思いつくことが出来ないシンプルかつ力に溢れた感情表現になっています。
高校時代で面白いと思ったのは、修学旅行の話。東京でメイド喫茶にいったときの感想が書いてありました。
「メイド(ブサイク)が料金の説明を始める。何でも「入国料」なるものが要るらしい。無理もなかった。全視界が桃色、不味そうなケーキにかけられる呪文、強要される自己紹介、もうここはジャパンじゃないんだ!」
ちょっと背伸びしたような書き方。可愛い。
かと思えば次のページには美味しいお茶の淹れ方がメモってある。可愛い。
次のページには数学教師の機嫌が悪かった日の日付、天候、着ていたシャツの色、キレた原因等々が事細かに記されています。
いいからもっと勉強しろって。
とまあ、中高はこんな調子ですが、大学からは淡泊な、備忘録的な日記が多いです。
友達と話した内容、面白いと思った表現、旅行した場所についてなど。
ゲラゲラと笑えるようなものは少ないですが、「あぁこんなことあったなあ」と感傷に浸るにはもってこいです。
特に帰省したときの日記は細かい。
大学に入ってからというもの、「家族とゆっくり過ごす時間も残り少ない」ということを強く意識するようになったので、少しでも思い出を具体的に留めておきたいんですよね。
あぁ、愛犬に会いたくなってきた。
「考えの整理」に当てはまるところでいくと、最近は写真のことが多いです。
自分の好きなモノとか、好きな映画のシーン、小説の描写、良いと思った写真なんかをバーッと羅列したりします。
すると何となく自分が好きな雰囲気というか空気感が掴めてくるような気がします。
じゃあそれを目指してどう撮ろうかな、とか、あのレンズだったらうまいこといきそうだなー、とか考えてます。
自分の好みを抽象化できると写真だけじゃなくて色んなものに応用できて便利なんですよね。
”鮮やかな色よりくすんだ色の方が好き”ってことが分かったとして、
単純にそういう色味の服を買ってみたり、冷戦を描いた映画みてみたり、昭和の邦画をみてみたり、フィルムカメラに興味を持ってみたり。
うまく言葉にできませんが、点と点が繋がっていく感じがして愉快です。
まぁ、写真はド下手もいいとこですし、お洒落でもなんでもありゃせんのですが。
3年後くらいには日記の効果がうまい具合に出てくれたらいいですなあ。
こんなところです。僕の日記のつけ方は。
少しでも面白そうだと思ってもらえたら幸いです。
「日記をつける」というと何だかハードルが高く感じるかもしれませんが、そんなに難しく考える必要はないと思います。
一日一日がっつり書けばそりゃ立派ですが、それじゃまあ、疲れる。そんで続かない。日記といっても毎日書く必要はないんですよね。
3日に1回、「コンビニおにぎりの味付き海苔はベタついて好かん」とか「LINEモバイルの広告の本田翼と結婚したい」とか短い内容を書くだけでもやってみると面白いですよ。
どうせ自分しか見ない紙切れです。思い思いにやっちゃいましょう。